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#小さい平和の少女像injapan
(ペンネーム/“2020”_talking_about_The_Nordic_Model)
連作名/彼女の前で、私は性買規制法として知られる北欧モデルについて考えます。
In front of her, I think about the Nordic Model approach known as the Sex
Buyer Law.
★写真名 SAKURA MACHI Kumamoto(夜景)(第13番/写真連作)
A night view of SAKURA MACHI Kumamoto (The thirteenth photograph of the
series)
★写真名 下通りアーケードの夜景 (第14番/写真連作)
A night view of Shimotori arcade (The fourteenth photograph of the series)
★写真名 鶴屋百貨店 (第15番/写真連作)
Tsuruya Department Store (The fifteenth photograph of the series)
★写真名 旧細川刑部邸 (第16番/写真連作)
Former Hosokawa Residence (The sixteenth photograph of the series)
★写真名 NHK熊本放送局と朝日新聞熊本総局(第17番/写真連作)
NHK Kumamoto broadcasting station and Asahi Shimbun Kumamoto total station
(The seventeenth photograph of the series)
★写真名 熊本県立美術館分館 (第18番/写真連作)
Kumamoto Prefectural Museum of Arts-chibajo Annex (The eighteenth photograph
of the series)
★写真名 熊本県立美術館本館 (第19番/写真連作)
Kumamoto Prefectural Museum of Arts (The nineteenth photograph of the
series)
(ペンネーム/“2020”_talking_about_The_Nordic_Model)
▼▼2016年9月中旬~10月上旬にかけて次の書籍を読みました。今回、紹介しよう
と、あらためて読み返して、2016年当時に読んだ際には、よく認識していなかった
「セックスワーク論」という言葉の登場回数の多さに驚きました。ただし、「『セック
スワーク論』そのものを肯定的に捉えているものではない」という私なりの理解のも
とに紹介することとしました。
以下に抜粋して紹介します。
◆「不可視の性暴力~性風俗従事者と被害の序列」/田中麻子/2016年8月24日第1刷発
行/大月書店/なお、文中の参照文献・資料を示す「( )」は引用時において一律に省
略しています。参考までに「スティグマ」は「stigma」を英和中辞典で調べると「(名詞)
①よごれ、汚名、汚辱、不名誉。②(奴隷・罪人に押した)焼き印」とされています。
▼▼「序章_性暴力はなぜ語られにくいのか」「三_語られない性暴力」では「(略)第三者
の性暴力や被害者に対するイメージと被害者の現実とにずれがあるときには、性暴力
が起こったことが認められにくいうえに、実際に性暴力に遭ったことが認められて
も、そのことによって被害者が否定的な評価を受けてしまうということである。//
だが、そのような性暴力被害者像と現実のずれや、性暴力と性暴力被害者に付与され
る象徴的意味は、被害者が誰なのかによっても変化し、被害者を沈黙に追いやってい
く。例えば、被害者が未成年ではなく成人女性である場合や、被害時に『派手な格
好』をしていた場合、加害者ではなく被害者に性暴力の責任が問われ、被害者が非難
されやすいといわれている。また、性暴力被害者が被害に遭う前から『不道徳な人
間』と考えられているような場合、性暴力の信憑性(被害者が本当に性暴力を受けた
のか否か)が疑われやすくなることが指摘されている。さらにいくつかの先行調査か
らは、被害者が同時期に複数人と交際している場合や被害者が性風俗にかかわってい
た場合、あるいは被害者が薬物使用者や精神障害者である場合、性暴力の信憑性は疑
われやすく、被害者が非難されやすいことも明らかになっている。つまり、人種や性
別、職業といった、被害者がもともと属している社会的カテゴリーと性暴力被害者像
や象徴的意味は不可分であり、語られにくい性暴力があるといえる。//性暴力被害
者をさまざまな次元で支援していくためには、性暴力被害者の語りづらさや被害者に
対する偏見・無理解のメカニズムを理解し、被害者が被害を訴えやすく、支援を求め
やすい環境を模索していく必要がある。そこで本書では、性暴力被害者の中でも語ら
れにくく、かつ問題とされづらい『性風俗従事者に対する性暴力』に着目し、被害者
が属す社会的カテゴリーと性暴力不可視化の関係を考察したい。//性風俗従事者に
対する性暴力は注目を浴びにくい。しかし、それは、性風俗従事者に対する性暴力が
起きてないということを意味するものではない。(略)//『性暴力』は長い間『個人
の問題』や『女性の問題』などとされ、『社会問題』と捉えられてこなかったし、公
的機関が介入するほどのことではないと考えられてきた。また、牧野雅子によると、
性暴力加害者が注目されることは少なく、性暴力は『女性の責任』とされてきた。そ
の中でも性風俗従事者が抱える問題は周辺化され、性風俗従事者が日々受ける暴力
は、それが殺害に至る場合でさえも世間に注目されることは少ない。性風俗従事者に
対する性暴力は理論上存在しないと考えられたり、存在しても重要な問題ではないと
見みなされたりしている。」としています。
▼▼「第一章_性暴力被害者の苦悩」「二_象徴的意味とスティグマ」「スティグマとは何
か」では、「(略)スティグマ化とは、特定の社会的文脈の中で、ある社会的カテゴリー
が否定的な意味を象徴するものだと考えられたり、そのカテゴリーに属す人々の行為
や思想、その人が何者であるかといったその人のアイデンティティまでもが象徴的意
味/スティグマによってすべて説明しうるものと見なされたりして(原因帰属され)、
その人に対して差別や暴力を向けることがその象徴的意味/スティグマゆえに是認さ
れるメカニズムのことである。これに従えば、『性暴力被害者である』ことが『脆
弱』『無力』『恥』といった否定的な意味を象徴するものと見なされるとき、性暴力
被害者は性暴力被害に遭ったという事実をもって、『触れてはいけないもの』や『対
話不能者』、あるいは、それだけで説明できるものと考えられてしまうといえる。そ
のうえ、このような象徴的意味/スティグマは支配的・文化的信念によって構築され
るために『性暴力被害者』という社会的カテゴリーがこのようなスティグマゆえに他
者から差異化されているように見え、象徴的意味/スティグマゆえに性暴力被害者を
コミュニティや対話から排除することが是認(スティグマ化)されてしまう。」とし、
「セルフ・スティグマ」では、「スティグマ化された人がそのスティグマをもって自分自
身を捉え、語るような現象は、『内面化されたスティグマ
〔internalized_stigma〕』や『セルフ・スティグマ〔Self-stigma〕』などと呼ばれ
ている(略)//セルフ・スティグマ/スティグマの内面化は、スティグマ化されうる
社会的カテゴリーに属する人々が置かれた社会的環境や文脈、人々がもともともって
いる資源によって抑制されたりすることがわかっている。」としています。
▼▼「第二章_性暴力被害者の差異と序列」「『労働』概念の導入と『性風俗従事者に対
する性暴力』」では、「一九九〇年代なると、(略)性風俗の議論に性風俗に従事する当
事者たちの声を反映し、性風俗についてのスティグマを払拭することが試みられるよ
うになる。性風俗を労働と考える『セックスワーク論』は、性風俗を『性を売る』
『身体を売る』『決定権を売る』などと語ることを批判し、性風俗従事者たちの実情
を訴えた。セックスワーク論が主張する性風俗と性暴力の関係をまとめると、①性風
俗のすべてが強制というわけではなく、また、性暴力を性風俗に従事することの必然
性と見なすべきではない、②性風俗で起こっている暴力や差別は、性風俗を『労働』
と認め労働環境を改善すること防止される、という二点になる。/(略)性風俗に『労
働』概念をもちこまなくてはならなかった背景には、『裏の社会』と表象とされるよ
うな性風俗の社会的地位と差別がある。『性風俗』と対比してそれ以外の職業は『昼
の仕事』『表の仕事』などと性風俗従事者たち自身にも語られるが、この表現から
は、性風俗と一般社会やほかの職業とが二分化され、さらには、性風俗がその低地位
に位置付けられていることがわかる。(略)セックスワーク論は、このような性風俗の
スティグマを明らかすることで、性風俗と他の職業との不平等やそれゆえの従事者の
権利侵害を可視化する必要から生まれたのである。//(略)性風俗や性的搾取や性差
別、性奴隷や性暴力といった『暴力』ではなく『労働』と考えることは、性風俗従事
者に対する性暴力を『職場』という一環境の中で起こりうる現象として具体化するこ
とを意味していた。つまり、性風俗に従事することを否定せず、性風俗の中で起こり
うる一現象として性暴力や劣悪な労働環境を批判することが可能となったといえる。
//セックスワーク論が『暴力防止を含む労働環境の改善』という目標と『性風俗従
事者の権利』という概念を性風俗の議論にもちこんだことで、自由意思による『性風
俗従事者に対する性暴力』が具体的に描かれるようになった。それだけではなく、
セックスワーク論への反論も、当事者抜きに『性風俗』の是非を議論することや、
『性風俗従事者』や『性暴力被害者』を名指すことに慎重になり、性風俗従事者の権
利侵害や性風俗従事者に対する性暴力を軸に議論を展開するようになった。(略)しか
し、セックスワーク論の『性風俗に従事する権利』という主張のインパクトだけが強
調され、虐待されたり強制されたりして性風俗に入ったにもかかわらず『自らすすん
で』従事したと語る性風俗従事者たちの背景や、性風俗以外に生き抜く術や選択肢が
ないような社会システムが見えにくくなってしまうことがある。//これらの議論が
再度、自由/強制の枠組みの中に回収されてしまう限り、性風俗で起こりうる暴力や
その責任が不可視化される危険性は保持される。」としています。
▼「三_性風俗の二重規範」「法の二重規範」では、「性風俗従事者と性風俗利用者には、
法律上に明確な差異がある。例えば、売春防止法は性風俗従事者の勧誘行為を処罰・
補導の対象(同法第五条『勧誘』罪)とするが、性風俗利用者は『何人も、売春をし、
又はその相手方になってはならない』(同法第三条)と言及されるにとどまり、その行
為が処罰対象になることはない。/さらに。須藤八千代と宮本節子は、売春防止法が
性風俗の結果として生じうる妊娠や出産についてまったく触れておらず、(略)同法が
性風俗従事者と生殖を切り離し、性風俗の結果として生じる責任を不可視化する法律
であると批判している。」としています。
▼▼「第五章_性暴力を可視化する」「三_性暴力被害を聴く力」「安全に性暴力を可視化
する場の創出~法的アプローチ」では「(略)被害者の過去の性行動を『性暴力を合意の
性的行為に変換する根拠』としてもちだすことを禁止する法的な試みの一つに、レイ
プ・シールド法がある。/レイプ・シールド法とは、主に北米で採用されている法律規
定で、性暴力被害者の過去の性歴を裁判で問うたり、それに関連する証拠・証言の採
用を許可したりしないことを定めたものである。性暴力被害者の性生活のプライバ
シーや名誉を守るため、米国では一九七四年に始まり、一九八〇年初頭にはほぼ全州
において制定された。//(略)被害者の名誉やプライバシーを守りながら、被害者の
ニーズやさまざまな決定権を尊重するのであれば、性犯罪の非親告罪化だけではな
く、非親告罪化後の被害者の権利保護についても議論すべきだろう。つまり、性犯罪
の非親告罪化を被害者の名誉やプライバシーの問題。犯罪可視化の方法としてではな
く、被害者がどのように事件解決にかかわるかといった被害者の権利の問題として捉
えることが重要である。」とし、また「安心して語れる場の創出~専門家の理解を広げ
る」では、医療機関の職員など公的な機関や専門職は「専門家として性暴力被害者に
接しうるが、それは性暴力被害者支援の専門職であることを意味しない」と指摘し、
被害者が安心して語れる場を構築する試みとして性暴力被害者支援看護職(SANE:
Sexual Assault Nurse Examiner)の養成を例示しています。
▼「終章_性暴力のありか」の最後の部分では「被害者の声を素通りしていく『部外者』
から、性暴力の存在に気づき被害者の沈黙に耳を傾ける『聴き手』になることが求め
られている」としています。
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