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#小さい平和の少女像injapan
(ペンネーム/“2020”_talking_about_The_Nordic_Model)
連作名/彼女の前で、私は性買規制法として知られる北欧モデルについて考えます。
In front of her, I think about the Nordic Model approach known as the Sex
Buyer Law.
◆連作に寄せて〔次の文書から抜粋して引用します/文書「講演/オーストラリアに
おける売買春をめぐる議論とその歴史/キャロライン・ノーマ」〔「ポルノ・売春問題研
究会『論文・資料集』第Ⅱ期2019年8月/Vol.1(通巻11号)」〕
「12、『北欧モデルの政策重点』/1999年にスウェーデン政府が導入した売買春法・政
策はその時から世界中に大きな影響を及ぼしました。この法律は買春行為を禁止して
加害者を処罰するものです。それと同時に買春被害者が被犯罪化され性産業から脱け
出せるよう政府からさまざまな支援を受けられるようにしました。それから、買春行
為がどれほどの人権侵害であるかについて学校教育や政府公報が行われています。/
(略)」
(ペンネーム/“2020”_talking_about_The_Nordic_Model)
★写真名 東京都議会と新宿高層ビル群(第1番/写真連作)
Tokyo Metropolitan Assembly Building and Shinjuku Tower Buildings (The first
photograph of the series)
★写真名 JR八王子駅北口(第2番/写真連作)
JR Hachioji Station north exit (The second photograph of the series)
★写真名 高輪口(西口),品川駅(第3番/写真連作)
Takanawa Entrance (west entrance), Shinagawa Station (The third photograph
of the series)
★写真名 多摩センター駅(多摩モノレール) (第4番/写真連作)
Tama Center Station (Tama monorail) (The fourth photograph of the series)
★写真名 憲政記念館 (第5番/写真連作)
Parliamentary Museum (The fifth photograph of the series)
★染井吉野桜発祥の里,駒込(第6番/写真連作)
Village of the Somei Yoshino cherry tree origin, Komagome (The sixth
photograph of the series)
★写真名 港南口(東口),品川駅(第7番/写真連作)
Konan Entrance (east entrance), Shinagawa Station (The seventh photograph of
the series)
(ペンネーム/“2020”_talking_about_The_Nordic_Model)
▼▼2019年10月下旬~11月下旬にかけて次の書籍を読みました。私自身としては「北
欧モデル」という言葉を最近知ったばかりで、関連する資料が掲載されていたため、
優先して読みました。以下に抜粋して紹介します。
◆「ポルノ・売春問題研究会『論文・資料集』第Ⅱ期2016年/Vol.1(通巻11号)」
「特集1_ポルノ被害とたたかう」
「特集2_売買春と人身売買_過去と現在」
▼▼「特集1_ポルノ被害とたたかう」「ポルノ被害の相談・支援活動の飛躍的発展~特集
によせて」では、「お互いに発見しあうこと/2001年の9・11事件の衝撃がまだ覚めやら
ぬ2002年1月のことである。アメリカで先駆的にポルノ被害問題に取り組んできた
フェミニスト法学者のキャサリン・マッキノンさんが来日して、文京区のシビックセ
ンターで私たちの会と交流の場をもった。その時、私たちの会はまだポルノ被害の当
事者と何の結びつきも持っていなかった。私たちは、その交流会の席で、どうすれば
被害当時者と結びつけるのかという質問をした。マッキノンさんはその問いに対して
こう答えてくれた。/サバイバーとともに活動する上で最初の障壁は、彼女らがあな
たたちを発見し、あなたたちが彼女らを発見することです。…私の経験から次のこと
が言えます。あなたたちが本当に彼女らに提供しうる何かを持っているのならば彼女
らがあなたたちを見つける上での障害は何もないでしょう。(『キャサリン・マッキノ
ンと語る~ポルノグラフィと売買春』不磨書房、2003年、27~28頁)/私たちがこの
言葉にどれほど勇気づけられたことか。私たちは、サバイバーに、被害者当事者に見
つけてもらえるよう、地道に活動を続けた。だがその日はなかなかやって来なかっ
た。それはひとえに私たちの非力のゆえである。2009年、私たちは、(略)婦人保護施
設や児童保護施設の施設長や職員の方々『ポルノ被害者と性暴力を考える会(PAPS)』
を結成した。理論的な調査研究から実践的な活動へと、活動の重心が移った。/そし
て、このPAPSが活動を開始してから数年後に、ついにその日はやってきた。外で紹介
するAV出演強要事件を通じて、PAPSの名前は一気に世間に広がり、被害者からの相談
が殺到するようになった。その相談被害の波はいまだに衰えておらず、いかに多くの
被害が潜在的に存在し、そして日々生み出されているかが明らかになった。(略)」と
しています。
▼「講演/男性神話、ポルノグラフィ、性暴力/森田成也」「2、セクシャリティを構築
する社会的装置としてのポルノグラフィ」「ポルノに対する2つのアプローチ」では、
「ポルノに対する伝統的な対処の仕方というのは、それを『わいせつ物』というカテ
ゴリーでとらえ、それを社会的に公然と流布することに一定の抑制をかけるというも
のです。つまり、性的なものは非公然であるべきであって、ポルノはそれを大っぴら
に流布するものであるからよくない、したがってその公然性を抑制すべきだとうもの
です。マッキノンはこれを『わいせつアプローチ』と呼んで批判していますが、保守
主義の立場からすれば、ポルノはわいせつで汚らわしいものであり、それをこそこそ
見る分にはいいけれど、公然と陳列するべきものではない、とこうなるわけです。こ
のアプローチは(略)ポルノの生産・流通・消費そのものに対してまったく無力であり、
またポルノのもたらす構造的問題には無関心です。/このような『わいせつアプロー
チ』に対して、『性差別アプローチ』というまったく異なったアプローチを提起して
います。ポルノが問題であるのは、それが性的だからではなくて、それが性的に女性
を従属させ、女性を常に男性にとって性的に使用可能な存在として描き出し、女性の
本質をそうした存在として提示し、そうすることを通じて、社会に存在する性差別の
構造を生産し、再生産する社会的装置だからです。それは性差別の実践であって、単
なるイデオロギーではない、ということです。/(略)」としています。
▼「4、ヘイトスピーチ被害とポルノ被害~共通点と相異点」では、冒頭に「ところで、
ポルノが問題になりますと、必ず『表現の自由』派がいっせいに登場して、断固ポル
ノを擁護し始め、それに対して、フェミニズムの側も十分に対処できていない状況に
あります。そして、日ごろは人権問題に敏感な学者や政党や団体であっても、ことポ
ルノになると、とたんに『表現の自由』を振りかざして、ポルノ被害の存在を抹消し
てポルノを事実上擁護する側に回るという現象が普遍的に見られます。(略)」とし、
「ヘイトスピーチとしてのポルノ」では「(略) ヘイトスピーチという概念が次第に定着
し、これは『表現の自由』の問題ではなくて、現実的な人権侵害の問題なのだという
認識が広がり始めていることは非常に重要なことであって、これはポルノ被害を考え
る上でも追い風になるのではないかと思っています。/というのは、ポルノが問題に
なると、それはセクシュアリティとかかわってきますので、女性の性的解放や性的自
由を抑圧するのか、道徳主義なのではないか、という異論がただちに出されてくるか
らです。しかし、ポルノを一種のヘイトスピーチとして、たとえば、ジェンダー的・
性的ヘイトスピーチとして捉え返すことができるならば、ポルノ問題に常につきま
とってきた道徳主義的なニュアンスや、性的自由がどうのといった、常に問題を直視
することを妨げてきた議論を乗り越えて、本来の問題であるそこに存在する人権侵害
に焦点を当てることが可能となるのではないか、と思うわけです。/(略)ポルノとヘ
イトスピーチとの共通点と相異点というテーマで少し検討してみたいと思います。」
としています。つづく「社会的権力関係と『言葉』」では、「まず、共通点ですが、そ
れはけっして『単なる言葉(オンリワード)』はない、ということです。(略)これまで
ポルノというのは、単なる言葉である、単なるファンタジーであり、したがって現実
の被害を生み出すはずがない、とされてきたわけですが、ヘイトスピーチ論において
は、ヘイトスピーチというのは、直接的には言葉として存在するけれども、それは
けっして単なる言葉ではない、それは社会的なさまざまな被害をもたらすと認識され
るようになってきています。/では、なぜそれが単なる言葉でないのかですが、それ
は一言で言うと、その言葉を単なる言葉にしないような社会的権力関係、支配と従属
の構造的関係がそこに歴然と存在するからですね。(略)これらの言葉は、そうした重
みを持って使用され、そうした文脈と意味を帯び、それを想起させ、それを反復し再
現する言葉だということです。(略)特定の人種や民族に対するヘイトの言葉が当然の
ものとして使用されてきた時代に、その言葉のターゲットとされてきた人々はいった
いどういう目にあってきたのかということです。(略)そういう時代がとっくに過去の
ものになっていて、もはや人種差別などどこにも存在しないというのなら、話は変
わってくるかもしれませんが、現在はけっしてそうはなっていません。今なお、人種
差別は歴然と残っているし、差別と暴力はいまだに緊密に結びついているわけです。
(略)同じことは言葉についても当てはまるわけです。(略)それは単なる言葉ではなく
て、実践であって、差別と暴力の行為だということです。/これはヘイトスピーチだ
けでなく、ポルノにも当てはまります。(略)こうした社会的力関係のもとでは、ポル
ノが発する言葉、映像、発するメッセージというのは単なる言葉ではありえないとい
うことです。」としています。
▼「ポルノとヘイトスピーチの相異点」では「(略)ポルノにおいては、少なくとも実写
ポルノにおいては、女性は男性より劣った存在であり男性によって性的に使用される
べき存在であるというヘイト思想を表現するのに、生身の女性(なうし男性)の性的身
体が使用されています。これが、ヘイトスピーチとポルノとが異なる最も主要な点で
あり、したがってその点にかぎればポルノの方がより深刻な問題であるということは
示しています。/(略) ヘイトスピーチの被害は、そうした差別思想を公然と流布さ
せ、ばらまいた時点で発生しますが、ポルノの場合は、それが流通する以前に、製作
過程ですでに被害が生じているということができます。そして、それが実際の生身の
身体を用いたものであるということで、その流通においても、また消費においても、
単なる描かれた文字以上により深刻な被害をもたらすのではないかと私たちは考えて
います。それが消費する場面においても、それが与えるインパクトは非常に大きなも
のなのです。」としています。
▼▼「特集2_売買春と人身売買_過去と現在」
「書評論文/二重の不可視化を超えて~『日本人「慰安婦」』によせて/森田成也」で
は、「(略)こうした可視化と不可視化の激しい闘いの一方で、日本人『慰安婦』は二
重に不可視化されることとなった。(略)日本人『慰安婦』の場合、民族差別という要
素が脱落することによって、差別そのものが不可視化された。民族差別と性差別の複
合差別であるものから民族差別の要素が脱落すると、差別そのものが、抑圧そのもの
が、暴力そのものがなかったことにされるのである。これは性差別の独特のメカニズ
ムである。(略)/日本人『慰安婦』が二重に不可視化されたもう一つの大きな要因
は、彼女らのほとんどが戦前の公娼制度下における『売春婦』だとみなされたことで
ある。実際、日本人『慰安婦』として戦地に渡った日本人女性の多くは、何らかの形
で売春に従事していた女性たちだった。そして、支配的な男性文化においては売買春
は性差別と性的搾取の制度化と見なされず、せいぜいのところ必要悪であり、場合に
よっては積極的に奨励されるべきものとみなされていたし、今日でもそう見なされて
いる。そこに何か問題があるとしても、それはけっして買う側の男性や業者や総体と
しての男性社会の問題ではなく、性を売る女性側の個人的問題と見なされている。そ
して、健全な「婦女子」と汚れた「売春婦」とを二分化する差別文化においては、後者を
戦地に派遣して「兵隊さんたち」あるいは士官たちの性的欲求を満たすために用いるこ
とは、無秩序な強姦を防ぎ戦意を高揚させるために性的資源を適切に利用することに
すぎないのである。/だが、戦前の公娼制度下における「売春婦」たちの多くは貧困家
庭の出身者であり、人身売買の被害者であり、しばしば直接的な暴力と搾取のもとに
あった人々である。もともと差別と暴力の被害者であった人々が別の形態の被害者に
なったからといって、被害者でなくなるわけではない。だが、ここでは先に述べた
「性差別の独特のメカニズム」の別バージョンが発動される。(略)男性社会が絶対に必
要だとみなした性差別に関しては、それ自体が性差別として認識されないというだけ
でなく、たとえそれに他の形態の暴力や抑圧が結合していても、その暴力や抑圧さえ
認識されなくなってしまうか、著しく軽視されてしまうというメカニズムである。先
のメカニズムにあっては、性差別が他の暴力の背後に隠されてしまうのに対し、こち
らのメカニズムにあっては、他の暴力が制度的性差別(だが性差別とはけっして認識
されない)の背後にかくされてしまうのである。/(略)売買春の制度は男性支配社会
にあっては絶対に必要なものであるとみなされており、それゆえに貧困(経済的権力
関係)や人身売買や暴力が深く結びついていても、この貧困や人身売買や暴力そのも
のがしばしば不可視のものとされてしまうのである。(略)相互に不可分に結びついた
これらのメカニズムを通じて日本人『慰安婦』は二重に不可視なものにされた。この
不可視化は、売買春という性的搾取の制度を必要悪(時には必要善)とみなす男性支配
社会の土台そのものから生じている。だから不可視と対決することは、支配的な性差
別文化の根幹の一つと対決することを意味する。」としています。
▼「論文/性売買規制法の国際動向~北欧モデルの可能性/中見里博」
「1、北欧モデルと欧州議会決議/(1)スウェーデンの『性的奉仕購入罪』/議論の前
提として、性売買規制法の北欧モデルと呼ばれるスウェーデンの法律を確認しておき
たい。スウェーデンでは、性売買の規制のあり方をめぐって、1980年代から約20年に
わたり女性運動と政府が議論を積み重ねてきた。その結果1998年に性売買業者と性を
買う者だけを処罰する法律(以下、スウェーデン法)が成立した。(1999年1月1日施
行)。それは、女性の安全(kyinnofrid)」一括法案として提案され、レイプ、ドメス
ティック・バイオレンス(DV)、職場のセクシャル・ハラスメント、性売買に関する法案
が含まれていたとされる。焦点の買い手の処罰禁止は以下の通りである。/①対償を
与えて不特定多数の相手方と性的関係をもった者は、性的奉仕購入の罪(purchase of
sexual services)とし、罰金または1年以下の懲役に処する。ただし、当該行為が本
章の他の罪に該当する場合はその限りではない。②前項の規定は、対償を与える約束
をした場合および対象が第三者に与えられた場合にも適用される。/『性的関係』に
は。『あらゆる性的奉仕』が含まれ、『どこで買ったか、街頭、性売買営業店舗、い
わゆるマッサージ・パーラーやエスコート・サービス、その他類似の環境に関係なく罪
に問われる』という。同条項は、海外に駐留しているスウェーデンの平和維持部隊に
も適用され、『コソボなど武力紛争が起きている国々で性を買って女性を搾取した兵
士が、数多く裁かれている』と指摘されている。(略)そこでは、性売買に対するジェ
ンダー視点が示され、性売買が『男性による女性に対する性的暴力』であることが等
が明確にされている。そのことから、性売買に対する法政策の次の2つの原則が導か
れる。/・性を買われる女性は処罰されてはならず、行政法上の制裁を受けてもなら
ない。逆に、性売買被害の暴力にさらされることなく生きる権利を有する。性売買の
需要を解消することは、スウェーデンの政策の要である。需要は、性売買の根本原因
である。/スウェーデン政府が2010年に発表した同法の評価報告書(以下、2010年評
価報告書)も、『性売買の問題に関する〔同法の〕最重要の洞察』が、『買い手にこ
そ関心が向けられなければならない』という『視点の転換』にあったと指摘する。こ
の2つの原則が具体化されることで、性を買われる者(法律上は性別中立だが事実上女
性)=不処罰、性を買う者(同じく男性)=処罰という、歴史上初めての『ジェンダー視
点に立った性売買規制法』が成立した。また、スウェーデン法の基本認識は、性売買
の包括的非処罰化を次のように否定している。(略)最後に重要な
視点として、性売買と性的搾取目的の人身売買との密接な関係についての認識が示さ
れている。/・性売買と、性的搾取目的の人身売買とは、切っても切り離せないし、
切り離すべきではない関係にある。両者は共に有害であり、本質的に結びついた行為
である。/このように、性売買規制の北欧モデルと呼ばれる性的奉仕購入処罰法は、
性売買の被害実態に根拠を置きながら、性売買がレイプやDVやセクシュアル・ハラス
メントと同じようにジェンダーに基づく性暴力であるという基本認識に立って、他の
性暴力の場合と同じように加害者の刑事責任を問うことによって、それを抑圧し縮小
することを目指す法律である。/(略)」
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