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#小さい平和の少女像injapan
#表現の不自由展その後再開
写真名 「サヘル・ローズ/いちばん嫌なのは知ったかぶり。いちばん怖いのはあたり前。」〔ポスター「東洋経済_on_line〕(第11番/写真連作)
写真名 COREDO室町仲通り(第12番/写真連作)
写真名 オメガオリンピックカウンター東京駅前(第13番/写真連作)
写真名 日本銀行(第14番/写真連作)
写真名 東京・日本橋(第15番/写真連作)
写真名 渋谷橋歩道橋からのながめ(ebisu_prime_square) (第16番/写真連作)
写真名 東京都庁前広場(第17番/写真連作)
写真名 モニュメント「LOVE」(新宿アイランドタワー) (第18番/写真連作)
写真名 芝生広場_東京ミッドタウン・ガーデン(六本木) (第19番/写真連作)
写真名 花鳥図屏風_朝鮮時代19世紀_東京国立博物館・東洋館_5階(第20番/写真連作)
◆◆「文化庁、あいちトリエンナーレへの補助金を不交付の方針」(朝日新聞デジタル9月26日)と報道されています。同記事「愛知県で開催中の国際芸術祭『あいちトリエンナーレ2019』の展示の一部『表現の不自由展・その後』が中止となった問題をめぐり、文化庁は、採択を決めていた補助金約7800万円全額を交付しない方針を固めた。」とされています。
◆『現代の理論』20号に掲載された申 惠丰(シン・ヘボン)氏の論文「歴史に向き合わず、対立を煽る『目眩まし政治・メディア』の危うさ―市民社会の理性が必要だ」のうち「問われている事柄の本質を認識しようとせず、相手方を非として対立を利用する政治」から次の部分を抜粋して紹介することにより、「補助金を不交付の方針」に対する私の抗議の意志を表明します。
http://gendainoriron.jp/vol.20/feature/shin.php
「(略)むしろ、河野談話の趣旨からすれば、慰安婦制度によって女性たちが被害を受けたことを記憶し、繰り返さないための教育的・芸術的活動を、国は積極的に認め後押しすることがその立場に沿うし、さらに言えば、日本政府が自ら、慰安婦問題(あるいは、それを含めた植民時時代の人権侵害)を記憶し後世に語り継ぐための教育的施設を作るのが望ましい(前述したアジア女性基金の『デジタル記念館_慰安婦問題とアジア女性基金』は、そうした取組みの一つだろう)。テロ予告や脅迫に対しては警察が適切に対処するのが当然だが、市長や国会議員の圧力行使に対して、政府は『そのような行為は許されない』と表明するくらいの措置を取ってほしかった。(略)」
◆◆私が2019年5月中旬から6月初旬にかけて読んだ次の書籍「植民地遊郭~日本の軍隊と朝鮮半島」(金 富子 氏・金 栄 氏【著】/吉川弘文館/2018年10月1日第一刷発行)では「はぎがき」の冒頭に次のような記述があります。
◆「前近代の朝鮮半島では、朝鮮王朝政府が性売買を政策的に禁止したため、徳川幕府が公認した吉原遊郭のような公娼制はなかった。明治に入った日本は、娼妓の登録・強制的性病検査・集娼制を核心とする近代公娼制を整えた。/近代日本における朝鮮侵略のなかで、朝鮮各地に形成された日本人居留地、それを発展させた植民地都市にもちこまれた日本 式性売買と性管理制度は、日清・日露戦争をきっかけに発展し、植民地期に再編・普及していった。日本式性売買は名称を変えながら朝鮮人を組み込み、朝鮮半島の性慣行をしだいに「日本式」に変えるなど大きな影響を与えた。さらに、日本敗戦=植民地解放後にも、日本式の性風俗慣行や用語、旧遊郭地帯の一部が長らく残るなど、影響は二一世紀まで及んだのである。」
◆◆私が2019年8月下旬から9月初旬にかけて読んだ次の書籍「満州に渡った朝鮮人たち~写真でたどる記憶と痕跡」(李 光平〔リ グァンピョン〕氏写真・文/金 富子・中野 敏男・橋本 雄一・飯倉 江里衣各氏責任編集/世織書房)には、次のような記述があります。
◆3ページ「はじめに~離郷の人生を語る姿と言葉/(略)思えば朝鮮民族は、確かに多くが離郷の民となっている。いくつかの統計資料をまとめた整理によれば、朝鮮半島に在住する本国朝鮮人に対してそれ以外の在外人口を比較すると、一九四〇年で一一・四%、一九九七年でも七・五%の朝鮮人が朝鮮半島外に住んでいて、これは世界中に溢れていると見える在外華僑の二・五三%(一九九〇年頃)に比べてさえ、さらに大きな数字となっている。(略)民族の全体が歴史的に「ディアスポラ(離散の民)」になったユダヤ民族を除外すれば、朝鮮民族の在外人口の割合は群を抜いており、それこそがこの民族の顕著な特徴なのだとも見える。朝鮮半島の南北分断がなお続いていて、それゆえに会うことの叶わない『離散家族』のことは話題になるけれど、この民族の離散はそれだけの問題ではないのである。(略)/編者一同」
◆10ページ「日本にとっての『満州』、朝鮮にとっての『満州』/中野 敏男/(略)この写真集が映しだしているのは、(略)満州に移動し生活した朝鮮人たちの実相である。/これは〈移民〉の歴史なのであるが、この歴史の眼が見ている移民は、一方で日本帝国がずっと植民地主義の標的として戦争政策と植民政策を大規模に展開し、他方ではそれに激しく抵抗する朝鮮と中国の民衆が抗日戦争をこちらも粘り強く持続して、それが激突していた現場への移民である。しかもそこで移民となったのは、日本による『韓国併合』で日本帝国の『臣民』に無理矢理組み入れられながら、実際には当の併合そのものによって朝鮮半島に生活の場を失い、それで追い詰められて仕方なく朝鮮総督府と関東軍は立案実施する朝鮮人満州移民政策に従った朝鮮人たちであった。だからこの移民は、生活のため新天地を求めての希望ある移動というより、それ自体が植民地支配から強いられ、日本帝国の移民政策に従って実行に及んだ移民であって、そりゆえにその行程と生活には、植民地主義の被害と諸相が深く刻印されていると見なければならない。/そうであるならば、日本帝国の植民地=朝鮮から「帝国臣民」として動員される形で集団移民した朝鮮人たちが、こちらも日本帝国による戦争と支配により土地と生活を侵食された中国人たちの敵意が充満する満州の地に到着し、そこでなお抵抗を続ける朝鮮人たちの『抗日戦争』と満州国軍人となって協力する朝鮮人たちの『親日戦争』が同族同氏で厳しく対峙する、その狭間におかれるというのはどういうことなのだろうか。そのとき、その人びとはそもそも何者であるのか、いったい何者として振る舞えばいいのか。(略)願わくばすべての読者が、写真家・李光平が長年にわたり蓄積したてきたこれらの写真と証言をしっかり受けとめ、ここから想像力を大きく膨らませて、植民地主義の支配下で満州に渡った朝鮮人たちの生の事実と意味につき、何かを感じ、また考えを深めていただきたいと思う。(略)」
◆155ページ「植民地帝国日本と朝鮮人の移動/金 富子/(略)一九年に三・一独立運動が朝鮮全土に起こると、間島の龍井でも三月一三日に行われた。朝鮮内でこれが鎮圧されるや、抗日武力闘争が満州、上海、ロシア沿海州で続けられた。間島はその最大の拠点であり、植民地軍(日本軍)と直接対峙・戦闘する場だった。(略)これに対して日本官憲は『不逞鮮人取締』の強化にのりだした。『不逞鮮人』とは、独立運動を行う朝鮮人に対し『陰謀』『反逆』
と結びつけられ、しだいに一般の朝鮮人に使われはじめた民族蔑視的な言説だ。この『不逞鮮人』言説は、関東大震災時の朝鮮人虐殺(一九二三年)前後に日本『内地』新聞・雑誌に頻出した。/注目されるのは、『不逞鮮人』という造語のルーツが日本の在間島総領事の作成した報告(一九一六年)にさかのぼることだ。(略)つまり日本での使用に先立って、一九一〇年代の間島で外務官僚の造語『不逞鮮人』が『外地』の新聞で使われだし、三・一独立運動以降の日本で一種の流行語になって、震災時の朝鮮人虐殺に結びついた。一見無関係にみえる満州と日本に住む朝鮮人が『不逞鮮人』言説でつながっていたのだ。」★
◆166ページ「間島における抗日闘争と日本の鎮圧政策~朝鮮人集団移民政策の背景/飯倉 江里衣/(略)一九三七年から実施された『満州』への朝鮮人集団移民政策では、政策開始初期の一九三七~一九三八年は入植地域が間島省に集中していた。(略)間島という呼称自体は、古くからこの地へ耕作をしに朝鮮北部から豆満江を渡って来た朝鮮人によって、間土、墾土、艮土、艮島(艮=東北方、いずれも朝鮮語音ではカントまたはカンド)などとともに使われていた。(略)間島への本格的な朝鮮人移住は一九世紀末頃より始まるが、一九一〇年『韓国併合』以降はいっそう間島への移住者が急増した。朝鮮半島への土地調査事業などによって土地を失った農民や、一九一九年の三・一独立運動後、朝鮮で強化された独立運動による弾圧を避けて亡命した者などが間島へ移住したためである。(略)亡命した朝鮮人は、間島が日本の法権が直接的には及ばない地域であったために、間島で激しい抗日独立運動を繰り広げ、日本の官憲を多いに悩ませた。(略)間島は、一九三〇年代以前より朝鮮人にとって抗日独立運動の聖地であり、日本の官憲にとっては非常に厄介な場所でもあった。」
★書籍「記録集/関東大震災95周年朝鮮人虐殺犠牲者追悼シンポジウム/関東大震災時の朝鮮人大虐殺と植民地支配責任/2018年9月22日(土)朝鮮大学校講堂」(朝鮮大学校朝鮮問題研究センター/発行日2019年9月1日)では「第1セッション虐殺の真相究明と虐殺否定論」「第2セッション虐殺の構造と植民地支配責任」など諸側面から指摘されています。
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