わたしの住んでいる町にかつて紡績工場があった。偶然、近所のお寺で保存されていた過去帳を見せていただく機会があった。
明治、大正、昭和と、じつに13歳から20代までの若い少女ばかりの戒名がそこに並んでいた。劣悪な環境のなかで死んだ女工の
引き取り手のない者は共同墓地の無縁墓に葬られたのだ。過去帳の中に「朝鮮慶尚南道普州郡普州面」の出身地が書かれた大正9年
1月に亡くなった18歳の朝鮮人少女・金占順(ハングルでは김점순、キム ジョンスン(Kim Jeom Sun))の名があった。異国の地で
亡くなった少女の思いは如何ばかりであったろう。金占順の墓はないが、明治33年に亡くなった「寄宿舎工女・宮本イサ」と書かれた
無縁墓を、かつての平城京羅城門跡に近い古い歴史をもつ共同墓地に見つけた。彼女がどこの出身でどんな女性だったのか、分からない。
こうしたものはすべてつながっているのだと思う。だからわたしはのどかな春の一日に、この「寄宿舎工女・宮本イサ」の無縁墓の横に
「少女像」を添わせた。すべての彼女たちの御霊が苦しみから解放される日のあることを願って。
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#小さい平和の少女像injapan
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